「ノストラダムスの大予言」の封印を解いてくれ

 

「1999年7月恐怖の大王が空から降ってくる」

「ノストラダムスの大予言」はフランスの医師であり占星術師であるノストラダムスの「予言集」を彼の伝記や逸話を交えて解釈するというものであった。その中で五島勉氏は「1999年7月恐怖の大王が空から降ってくる」という解釈をして「ノストラダムスの大予言」として出した。この解釈は、ノストラダムスがアンリ二世に1999年に人類が滅びると語った史料を根拠にしている。

この書籍が1973年11月に初版本が出ると三か月ほどで百万部を突破する大ベストセラーになる。そして当時中学生だった私はこれを本気にした。世間でもこの予言が話題になったのである。この頃は公害問題もあり、将来に対する不安感もあり、この時期には人類滅亡についての週末論がさかんになった。またオカルトブームの先駆けにもなる。

 

終末ブームに乗って映画が製作された

そのベストセラーに目を付けたのが、「ゴジラ」の大ヒットによりSF特撮映画を連発する東宝の田中友幸プロデューサー。1973年末の「日本沈没」のヒットにより、それと似たような題材であるこの書籍に注目してこれを映画化しようと考えた。「日本沈没」は原作が出版するまえに映画化権を買っておいたという嗅覚の鋭さがある。これも当たるだろうと考えた。結果的には「日本沈没」の半分程度の興行収益だった。しかし1974年の興行成績の一位が「日本沈没」で第二位が「ノストラダムスの大予言」だ。だから立派な成績であるし、「日本沈没」がいかにメガヒットだったかわかるというものである。

もうちょっと丁寧に撮ってほしかったな

原作が予言詩集だから、劇映画にするのだからオリジナルストーリーを作ることになる。ノストラダムスの予言詩を引き合いに出して、特撮で科学的なデータに基づいて悲劇的な未来を表現するという内容はSF映画としてというよりも、あらゆるジャンルの映画と比べても秀作とは言えないような脚本と演出である。見せ場である特撮を並べただけで芸のない編集だし、特撮で見せた終末的な映像を、人類が何も対策を立てないでいるとこんなになりますよ、ということをなんだか神がかりな丹波哲郎の説教みたいな演説で終わる。構成が雑なので評価は低い。しかしこの丹波の演説は何かが乗り移ったような感じの丹波の怪演と予言詩を朗読する岸田今日子のおどろおどろしいナレーションは見どころ・・・いや聴きどころだ。映画として褒められたものではないが、丹波と岸田の怪優ぶりは何度でも鑑賞したくなる。

なぜこの映画が50年経った2025年でも封印が解けないのか

本作はビデオやDVD・ブルーレイというソフト化もされず、動画配信でも映画館などの上映も叶わない封印作品で、2025年現在でも鑑賞困難作品である。

この映画を劇場で観た「大阪府原爆被害者団体協議会」に所属していた青年がこれは問題ではないかと報告した。

成層圏の放射能が一気に降下したので、ニューギニアの原住民が被爆で食人鬼と化すところと、核戦争で滅亡した後に放射能で異形の姿となった新人類のデザインが被爆症の奇形をデフォルメしたと倫理に反するもの、差別的であり、被爆した人を誤った知識を与えるものではないかと先に挙げた被爆者団体と「原水爆禁止全面軍縮大阪協議会」が東宝に抗議した。

双方の話し合いによって問題視する場面をカットして上映中止という危機は回避された。しかしそのころには上映の大半が終わっていた。二番館や名画座で上映したときにこのカット版で上映した。その後は食人場面はカットされていないものがテレビ朝日で放映された後の1986年にはビデオとLDでカット版のソフト化が告知された。だが、これも販売中止になった。その後、「ノストラダムスの大予言」はまぼろしの作品となって、観ることは困難な作品になった。

私を絶望の淵から救った福音の書

さて、将来に夢も希望もない中学生の私は俺は40歳になる手前で死んでしまうのだと絶望の淵に落ちた。こんな悶々とした青春時代なんてひどいことであると五島勉氏を呪った。いや予言をしたのはノストラダムスだな、紹介した人を恨むのは筋違いか。

映画が上映する前にある希望が持てる文庫本が出版された高木彬光氏の「ノストラダムスの大予言の秘密」である。高木氏はノストラダムスの古語で書かれた予言書を原文で読めるほどフランス語に堪能な人である。高木氏は原文を読んで、ノストラダムスの予言詩では人類の滅亡を予言したものはないと断言した。予言詩はあいまいでもやっとした表現をしていていかようにも解釈できるものとして、これはヒトラーの出現だな、これはペストの流行じゃないかなど、このあいまいではっきりしない詩に当てはめていけばいいというものである。「1999年7月恐怖の大王が空から降ってくる」という詩も何を表現しているのかわからない。読み手が解釈したらいろんなものが出てくる。要するにこれを人類滅亡を予言したというのは五島勉氏の解釈にすぎない。となればこれを人類の滅亡とするのは読み手の解釈次第だし、1999年後の予言もあるからこれを滅亡とするのはおかしいとする。

人類の未来は明るいぞ?

私はこの本を読んで一気に自分の未来は大丈夫だという希望の光を見出した。そして映画も絶望的に観ているのではなく、東宝特撮映画の一本として鑑賞できた。一回観たきりなので見直したい。私が生きている間に封印が解けるますように希望を持っているところだ。

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