ひさしぶりに原田知世に会いたくなった
「35年目のラブレター」を観た。実話に基づいた映画なのだが、まあ映画自体は予定調和なので、予想外のことは起こらない。それでも客の涙を誘うというわけだから、観る者の期待を裏切らないということではきちんとした娯楽映画である。たぶん好評だと思う。話の展開はこちらの予想を裏切らないから、自分も歳をとって涙もろくなっているので少しウルッときた。
原田知世のファンであったがごぶさたしていた
ウルッときたのは映画の内容ももちろんあるのだが、なによりも原田知世にまいったのだった。彼女の人気を高めたのは「時をかける少女」で、自分もこの映画の彼女に魅入られたのだ。その後、彼女の主演映画を観ていったのだが、大人になるにつれだんだん彼女に惹かれることがなくなった。そして2000年代からはまったく彼女の出演映画は観なかった。彼女自身にも、彼女が出演した映画にも興味が持てなくて長い間ごぶさたしていた。テレビドラマも私は「ふぞろいの林檎たち2」(1985年)以降はまったく観なくなった。とはいえ、サブスクで昔観たドラマや観なくなってから話題になっていたものをこのテレビドラマ空白期間の穴埋めをしようというのかちょくちょく観始めたけれど。
真田広之が好きだった少女の最初の行動
原田知世は真田広之の大ファンで彼の主演「伊賀忍法帖」のオーディションを受けた。結果は渡辺典子が選ばれた。しかし、原田は審査員席に真田がいたので、彼に会えただけで満足であった。さて帰るかと思っていたところ、彼女に目をつけていた角川春樹が彼女に特別賞を与えて角川春樹事務所に入れる。薬師丸ひろ子が主演した映画「ねらわれた学園」「セーラー服と機関銃」のテレビドラマに主演をさせた。
ところが角川が期待したほど原田がよくなかった。これ以上やっても芽が出ないと思った角川は、彼女を引退させることにした。しかし、引退記念に一本映画を創ろう。そしてその映画を大林宣彦にまかせたのである。
角川春樹と大林宣彦のプライベートフィルム?
角川は大林に中身は監督の好きなように撮ってください、そしてそれを監督の故郷である尾道で撮影してくださいと依頼する。尾道で撮ってくれと頼んだのは角川の直感とも、原田が大林が尾道で撮った「転校生」をとても気に入っていたからとも言われている。角川は原田を本当は自分が結婚したいのだが年齢差がありすぎて駄目だが自分の息子の嫁にしたい、というほどほれ込んでいたが、彼女が芽が出ないだろうと思ったらこの芸能界にいることはかわいそうと考えて引退させようとしたのだった。
大林宣彦の好きなように創った作品
大林としてはふたたび尾道で撮る気はなかったが、角川の想いを汲んでその注文を承諾した。そして尾道で撮るということは自分のプライベートムービーと位置付けていて、観客層である若者が理解しようがしまいが、自分の好みである大正ロマンチシズムをやろうと考えた。そうしても併映作が大人気の薬師丸ひろ子の「探偵物語」であったから、そういうことをやってもコケることはないだろうという計算もできた。大林はこの映画のヒロインは角川春樹ともども幻想のなかにいる少女としている。封切り当時にこの作品を鑑賞した私はその頃の女子高生にしても原田のヒロインはセリフも含めて古いと感じた。しかし、大林はそれも承知で描いていたのだ。納得。作家の林真理子は角川春樹に「当時、あんな女子高生はいない」と苦言を呈した。だが角川は「どこにもいない女子高生を描いたことが普遍性を持った」「最初から古かったら古くならない」と後に語っている。
あまり期待されなかった作品
原田知世に引退映画とした「時をかける少女」は大林が薬師丸ひろ子で「ねらわれた学園」を演出したこともあり、それがヘンテコなもので不評を買ったことや原田が主演した薬師丸ひろ子のリメイクもたいした評判になっていないことから期待はされていなかった。同時上映の「探偵物語」が大人気の薬師丸ひろ子なので大半の人がこれを観る目当てだろう。
わたしはこの映画を目当てで観に行った
ところが私は本作目当てで観に行ったのだ。なぜならば「時をかける少女」の最初の映像化であるNHKの「タイムトラベラー」と同じ原作だったから。このテレビドラマは私にはとても面白かった。それを映画にするという。それならば大丈夫だろうと思った。そして「転校生」に感激したのでそこから大林宣彦監督にとても期待していた。まあ「ねらわれた学園」のことは目をつぶる。また私は薬師丸ひろ子のファンでもなかった。
悲恋ものにかかわらずなぜ幸せな気分になるのだろう
そして映画を観た。こちらの想像以上の傑作だった。この映画は悲恋ものだったのだろうか。ラストで二人が再会するが、これが再び恋が再燃するものと思えなかった。男の方は女に気が付いているだろうが、女の方は男に気が付いていないと思う。男の方から女の方に自分のことを語らないままにしておくだろうと思う。なぜそう思うかというとそれはこの映画を観て男の目的が何だったかわかることでそれはないだろうと納得できると思う。だから主人公の男女の恋は実らない。この映画はこのカップルにもう一人男が出てきて、いわば三角関係だ。で、ヒロインは本当はこのもうひとりの男のことを好きなのだがこれに彼女は気が付いていない。数年後という場面を描いた場面でこのヒロインがほんとうに好きだった男といないし、ヒロインの恋はまったくかなわなかったと解る。
映画は理想の恋を味わう夢の世界である
悲恋ものにも関わらず、私の心にはとても胸いっぱいの感激があふれていた。とても良い映画を観たという充実感があったのだ。映画の最初の字幕で「人は現実よりも理想の恋を知ったらそれはひとにとって幸福だろうか、不幸だろうか」と出る。これは筒井康隆の原作にはない文言。脚本にも書かれていない。大林宣彦監督がこの映画のテーマを物語ったものである。理想の恋を知って幸福なのはそういう映画を観たときなんだろう。映画はこうあってほしいという希望の物語だと思う。で不幸なのはこんなことが現実ではほぼ体験しないということがわかっているからだ。それでこの映画を観たらしあわせな気持ちになるというのはそういうことなんだろう。現実にはこういう理想の恋をする確率は限りなく0%寄りだ。私の貧しいけれどそんな恋愛経験からしても映画みたいな恋をして幸せな人はあまりいないだろうと思っている。
「35年目のラブレター」ならぬ再会
2025年3月18日現在この投稿すると言うことは、35年前というと1995年。この前後から原田知世の出演映画は観なくなった。出演している映画自体も興味がなかったためと、彼女に興味がなくなってしまったということだ。歌手に力をいれるとどこかの記事で読んだ。彼女のCDを買ったこともない。
本当に今回の映画でお久しぶりというところ。なぜ本作を観る気になったのかと言えば、ひさしぶりの原田知世が観たかったのだ。ちょっと興味が惹いたのである。
最初の時はさすがに少女時代とは顔つきが変わったなと思った。しかし見ていくうちに少女の時の面影が見えてきた。特に笑顔は少女時代のかわいらしさをそのまま残している。これを観たら、彼女は少女時代から根っこの部分は変わっていないのだなと感じた。そしてそれが嬉しく喜ばしいことでもある。そしたら映画の出来とは別に涙が出そうになる。
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