もはやオリンピックは利権まみれの汚濁に満ちたイベントとなった
2021年に開催された東京オリンピックは、コロナ過で多数の反対意見を押し切って行われた。それで政治家やそれに癒着している企業による利権汚職の構図が可視化された。オリンピックの精神「スポーツを通じて心身を向上させて、友情や連帯感、フェアプレーの精神をもって平和な世界の実現に貢献することを目的とする」という文言は空虚に聞こえる。もう日本でオリンピックを開催しなくていいという意見が多数をしめたのではないか。
日本の未来は世界がうらやむ幸せな国になるのだ
それなら1964年の東京オリンピックはどうだったか。当時もオリンピックよりも他に金を使えという批判があった。またこういう国際的イベントに冷めた目で見ていた人もいるが、それはどのイベントでも少なからずあるということだろう。
しかし何よりもこの時期の日本は何もかも失った戦争からやっと克服して生活が安定してきたし高度成長期である。明るい未来というかこの60年代は希望に満ちていたのだ。この国際的イベントを開催することで日本が焼け跡から経済復興して、世界を敵に回して戦争をしていたがここで国際社会の一員になるということを知らしめるためにやる必要があった。2021年のオリンピックはコロナ過でやる必要がないし、大体経済が潤うと言ったってこの手法でやるというのは時代遅れ。しかも庶民が潤うどころか、利権によって政治家とそれに癒着する企業の懐が温かくなるだけ。オリンピック自体に利益が出なくても赤字になればそれは税金で補填、利権を持つ連中は開催するだけで儲かるだけという金権まみれだということがよくわかった。こういうことは1964年のオリンピックにもあっただろうが、それをとがめる声は少なかった、というより一般国民には知らなかったことだろう。
日本が高度成長期でイケイケどんどんだった
1960年代が幸せな時代だったということは市川崑監督の「東京オリンピック」という記録映画を観るとそれがよくわかる。この中で撮られた観客の喜びに満ちた表情を観ていると、今の閉そく感に満ちて経済大国でなくなって、貧乏している人が急増していって、ヘイトスピーチが堂々と行われる暗い世の中とはえらい違いに驚くねえ。
「東京オリンピック」がどんなにヒットしたか
おおいに盛り上がった東京オリンピックの記録映画だから、その興奮を再びということなのかメガヒットになった。戦後の日本の映画興行で最高の観客動員数なのは1963年の「キングコング対ゴジラ」でチケットの売り上げが1260万枚だ。これは「ゴジラ」シリーズでも最高である。それを本作は破り、2350万枚でほぼ「キングコング対ゴジラ」の倍あったのだ。それは2001年公開の「千と千尋の神隠し」の2430万枚に抜かれるまで約40年間記録保持していた。
この記録映画に国会議員がクレームをつけた
しかしこの映画の公開前に騒動が起こった。
関係者のみの試写会においてこの作品を鑑賞したオリンピック担当大臣・河野一郎は「記録性をまったく無視したひどい映画」「記録性を重視した映画をもう一本作る」と述べた。文部大臣の愛知揆一も「文部省として、この映画を推奨できない」という声明を出した。
これによって教育界も混乱した。推薦を取りやめる団体と、子供への視聴を続けた団体と真っ二つに分かれることになった。東宝は市川に修正を求めて試写会で上映したものに日本人金メダリストやオリンピック建造物の映像を追加して公開版を作った。
大女優によって騒動を収める
この状況に女優・高峰秀子は市川を擁護して、単身河野に面会する。そこで市川の優れた点を訴えて、監督と面会するように求めた。河野は3回ほど市川と面談する。そのうち2回は高峰も同席する。最終的に両者は円満に握手した。河野は本作のプロデューサー田口に「できあがりに満足はしていないが、自由にやらせてくれ」と電話をするに至った。市川は「あの混迷から脱出したのは、デコちゃん(高峰の愛称)のおかげですよ」と述べた。
話題性があれば映画はヒットする
というごたごたはあったが、この騒動も観客動員に影響があったかもしれない。話題になればオリンピックに無関心でも野次馬的に観ることもあるだろう。また学校が団体で鑑賞することも大ヒットに寄与しただろう。災い転じて福となす。というか、なんでもいいから話題になればヒットするというのが常識というところか。
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