新作「F1/エフワン」のプロモーションのために来日したブラッド・ピット。彼はトム・クルーズと並ぶ映画スターですね。彼ら以降、ハリウッドで新たな映画スターが生まれていません。日本ではブラピという愛称も得るブラッド・ピットについて述べます。
ブラッドピット若い頃 彼のプロフィール
ブラッド・ピットは1963年12月18日アメリカ合衆国オクラホマ州生まれです。
トラック会社の経営者である父と高校のカウンセラーであった母が両親です。弟と妹がいます。
生後間もなくミズーリ州スプリングフィールドへ転移して、保守的な家庭で南部バプテストとして育てられました。バプテストはキリスト教の一派で、聖書を基準にした信者の自覚的な信仰告白に基づくバプテスマ(浸礼=全身を水に浸して行う洗礼)を重視します。
高校生の時はレスリング、水泳、バスケットボール、ゴルフ、テニスのチームメンバーだったかたわら、ディベート、校内自治、演劇活動をしていたというから凄い。文武両道でありイケメンで身長180センチだから、はたから見るともう完ぺきな男じゃないか、うらやましいねと思うのだが、そんな完ぺきな男でも悩みはあるのです。
ブラッドピット若い頃 彼が俳優を目指した理由
ミズーリ大学コロンビア校に入学し、広告を中心としたジャーナリズムを専攻します。しかし、将来を見据えた際に物事が何も進展しないように感じていました。高校時代に演劇をしていたこともあり、今まで観た映画に感じた情景や彷彿とした感情を忘れられず、俳優を目指そうと決意するんですね。
そのために大学を中退して、手持ちのお金325ドルを手にロサンジェルスへ向かいます。
ロサンジェルスでは演技のレッスンを受け、運転手や店員などのアルバイトをして生計を立てていました。
ブラッドピット若い頃 ブラピの下積み時代
1987年に「追い詰められて」の端役で映画デビューします。ですがこの作品はノンクレジットです。同年5月テレビドラマ「Another World」に2話出演したことがテレビデビューになりました。同年11月にはABCの「愉快なシーバー一家」にゲスト出演します。
同年12月から翌年1988年2月までにはCBSの「ダラス」でチャーリー・ウェイドのボーイフレンド、ランディ役で4話出演しました。この役に関しては「干し草にひっかかるバカなボーイフレンド」と説明していました。
映画やテレビドラマ出演を繰り返し、1991年の「テルマ&ルイーズ」で転機が訪れます。テルマ(ジーナ・ディヴィス)のボーイフレンド、J.D.役ですが、テルマとのラブシーンはピットをセックスシンボルにしたと言われます。
ブラッドピット若い頃 彼を飛躍させた作品群
1992年ロバート・レッドフォード監督による「リバー・ランズ・スルー・イット」で大変注目されます。ロバート・レッドフォードの若い頃を彷彿させる美男ぶりはもちろん、演技的にも評価されます。
1994年の「レジェンド・オブ・フォール/果てしなき想い」、1995年の「セブン」とブラピの演技も作品自体も大きく評価されます。同年の「12モンキーズ」、1996年「スリーパーズ」、「セブン・イヤーズ・イン・チベット」、また1998年の「ジョー・ブラックをよろしく」と出演しますが、興行的にも演技的にも評価されたりされなかったりとなります。
1999年の「ファイト・クラブ」は予想を下回る興行成績でしたが、DVDが発売されて再評価、カルト映画としての人気を得ます。このカルトムービーはブラピとしても重要な作品なので別稿で述べたいと思います。
ブラピの映画にかける情熱
ブラピは熱烈なシネフィルでもあります。映画への情景や彷彿した感情があったので俳優になった人でもあります。最初の妻となった女優ジェニファー・アニストンとの旅行のときも映画のDVDを持ち歩いていたほどです。好きな映画作家や俳優の話題になると饒舌になるため、彼をインタビューするときは、好きな映像作家や俳優の話題を振るという人も多いそうです。
プロデューサーも務めるブラピ
また彼はプロデューサーもよく努めます。「ジャッキー・コーガン」(2012年)「ワールド・ウォーZ」(2013年)などの自身の主演作品や「それでも夜は明ける」(2013年)、「ムーンライト」(2016年)などの社会派作品もてがけています。
社会派作品だと大ヒットするかどうか不安視されますが、そこにブラッド・ピットの名前があればスポンサーも集まりやすいでしょう。ブラピもそこは意識していることでしょう。
とまあ、ブラピの映画にかける熱意はかなりのものと感じます。これからも映画製作に情熱をふりむけてほしいものですね。
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