「アバター」はCGによる地球外生命体を活き活きと描いたSFファンタジー作品です。このCGによる映像がきれいなうえに、これを3Dで見せるところも話題を呼びました。
この3Dがかつての立体映画と格段に違うものでCGとともに革命的なものでした。
3Ð映画はかつては立体映画と呼称したものでした。私が子供の頃に観た「飛び出す冒険映画 仮面の忍者赤影」(1969年)が立体映画初体験でした。
私には「仮面の忍者赤影」が3D映画初体験ですが、それ以前にも立体映画というものがありました。
「アバター」シリーズの三作目「アバター:ファイヤー・アンド・アッシュ」(2025年)が2025年12月19日公開されます。
今回も3D上映でありますので、ここで3D映画の歴史を述べてみましょう。こういうトリビアを知って映画を鑑賞するのも良いんですよ。トリビアは調味料ですね。
アバター3D 3Ð映画の初期はかなり早い時期からある
さて一番最初に3D映画が出たのが意外なんですが、1930年代なのです。映画がサイレントからトーキーに移ったばかりの頃ですから、そんな時代にもう3D映画があったのです。
右目用・左目用のふたつの映像を赤と青のそれぞれの眼の部分を覆うセロファンをつけてみると立体に見えるという「立体視」というのは1900年代という映画のごく初期の頃からあったのだそうです。
それでそれを使った立体映画が1935年に「Audioscopiks」という上映時間8分の短編映画が本格的な3D映画だったのです。初めて見る立体映画なので、観客に専用メガネの使い方の説明を受けた後に鑑賞しますが、劇ではありません。
窓から押し出されるはしご、ブランコに乗る女性、投げられた野球ボールなどの映像が次から次へとカメラの前に向かって動くというものでした。カメラの前面に物体を向けさせて立体効果を出すようにしたものです。
この作品は1936年に日本でも上映されており、ポスターを見るとこういうキャッチコピーがありました。「映画の新しい革命 話題の渦・第三次元映画 映画の立体化こゝに完成さる M-G-Mの立体映画 メトロコピックス」と記されています。
”Audioscopix” が 日本で”Metroscopix” というタイトルになったのはMGM(メトロ・ゴールドウィン・メイヤー)映画でありますから、メトロコピックスというタイトルで日本を含む数か国ではこのようなタイトルになったということです。さてここではブームになるほどの本数は作られておりません。ひとまずは実験というところなのでしょう。
この三年後の1939年「In Tune with Tomorrow」がニューヨーク世界博覧会で3D公開されました。ここまでは試験上映の意味合いがあったのでしょう。
アバター3D 本格的に1950年代にブームが起こる
そして3D映画の第一次ブームは1950年代のハリウッドで起きます。このころからテレビの普及が一般家庭に進んでいって観客動員数の減少に危機感を覚え3D映画製作を始めます。同じ理由シネラマ(1952年)、シネマスコープ(53年)、ビスタビジョン(54年)などのワイドスクリーン上映もされています。
この頃の立体映画は「肉の蝋人形」(1953年)「ダイヤルMを廻せ!」(1954年)などがあります。1953年で世界中で長編35本・短編51本、1954年で長編22本・短編5本の3Ð映画が制作されました。しかし1955年には長編3本・短篇1本と急速に減少してブームが終了します。
1952年に3D映画「ブワナの悪魔」がアメリカで一大センセーションを巻き起こし、来るべき3Ð映画に反応したのが東宝です。1953年に「ブワナの悪魔」が日本で公開されますが、それに先駆けて公開しようと考えました。「飛び出した日曜日」「私は狙われている」の2本の短編映画を公開しました。
そして松竹もこのブームに乗ろうと「決闘」という25分の短編映画を制作しました。しかし東宝も松竹も立体映画を制作するのを中止します。立体映画を上映するためにそれに使う映写機や劇場を少し改造したりするので経費がかかりました。それよりはワイドスクリーンが良いということで「東宝スコープ」「松竹グランドスコープ」と銘打って大スクリーンに移行します。立体映画はブームも起こさないであっさり終了です。
このときに長時間の立体視は目がつかれる、立体効果を出すために棒をカメラの前に突き出すというのがわざとらしい、立体効果に力を入れているがストーリーがおろそかになる、などの感想がありました。これもあってあまり評判は良くなかったようです。
アバター3Ð 第二次3Ð映画ブームは特撮ヒーローもの
さて1960年代にはポルノ映画で3Ð映画がさかんに制作されました。そして1967年に東映でテレビドラマのエピソード数本を再編集して3Dにした「飛び出す冒険映画 仮面の忍者赤影」を公開します。
この作品は私もリアルタイムで見ており、絵が立体になっているのに気分が高揚していたのが今でも忘れていません。東映はこれを皮切りに「飛び出す人造人間キカイダー」(1973年)、「飛び出す立体映画イナズマン」(1974年)と続き、イベント映像として提供したり、2000年代にもアニメの3Ð映画、特撮ヒーローものでも3Ð映画をちょくちょく作っています。東映は3Ð映画に積極的であります。
専用メガネで見ると立体感は出ますが、画面が暗くなって目の疲労度が増します。だから全編を通じてでなくて、見せ場となるときに立体映画になります。そこで立体場面になる前に「さあ、ここでメガネをかけてみよう」と字幕が出て観客に即します。
この時期は東映が特撮ヒーローもので積極的に3D映画を制作していました。子供たちの気を引くためにこれを考えたのでしょうね。「侍戦隊シンケンジャー銀幕版 天下分け目の戦」(2009)「仮面ライダーW FOREVER AtoZ 運命のガイアメモリ」(2010)や「天装戦隊ゴセイジャー エピックON THEムービー」(2010)と21世紀に入ってもちょくちょく制作しています。これは時期的にみて「アバター」の大ヒットに刺激されて、かつては東映も作っていたぞ、と思いだしたんでしょう。
アバター3Ð 第三次3Ð映画は日本のバブル景気のおかげ?
さて1980年代に日本では国際博覧会、地方博覧会がよく開催されました。バブル景気もあってこうした大掛かりのイベントが花盛りでしたね。その中のひとつの呼び物で3Ð映像の上映もプログラムにありました。というか博覧会と言えば立体映像というイメージでした。そこで3Ð技術の開発が活発化してIMAX3ÐやIMAXデジタルの設備をもつ映画館も生まれました。
この1980年代に「ジョーズ3」(1983年)「十三日の金曜日PART3」(1982年)などの3Ð映画も上映されてちょっとした3Ð映画ブームでもありました。このころから立体映画が3Ð映画と呼称を改めています。
そしてこの博覧会ブームが「アバター」に貢献しているのは間違いないでしょう。IMAX3Ðが「アバター」でも明るい画面にくっきりと立体感が出るような革命的な映像を生み出したのです。とは言っても全編メガネをかけて観ると疲労感がありますけれど。ここはいまだに3D映画の問題点と言えるでしょう。

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