「ハリー・ポッターと賢者の石」の小説が生まれた背景
ハリー・ポッターシリーズの第一作「ハリー・ポッターと賢者の石」はイギリスの児童文学作家J・K・ローリングが1997年に発表した。彼女がボーイフレンドと引越ししたいと考えていた1990年にアパート探しを終えて列車でひとりロンドンへ戻る途中でハリー・ポッターのアイディアが頭に浮かんだと語る。「賢者の石」はその夜に書き始めたという。しかし最初に2,3ページは完成したものと似ても似つかぬものだという。その後にローリングの母が亡くなりその悲しみに耐えるために、ローリングは自分の苦悩を小説の孤児のハリーに転嫁した。1990年6月ごろから書き始めて6年費やして書き上げた。
少年向けの小説であることから、読者は男性作家の本を好むと言われて、出版直前にJ・K・ローリングというペンネームにした。1997年6月ブルームスベリー社は「賢者の石」をハードカバーを500部発行するがそのうち300部は図書館に配布された。1999年9月までのすべてのイギリス版の著作権ページには作者の本名「Joanne Rowling」と記載された。
児童文学としては異例のヒット
イギリスやアメリカで出版されたものの、やはり児童文学だから軽く見られた。書籍関係の賞は取ったものの批評家は冷淡だった。ローリング以前の児童文学の作家ロアルド・ダールも人気はあったものの文壇の評価は低かったのだ。でも英米ともに本の売り上げは大ヒットした。ヒットしたからには当然のことながら映像化の話が出てくる。
イギリス生まれの小説をアメリカ映画で製作
製作したワーナー・ブラザーズが原作の映画化権を1999年に買い取り、監督候補にはスティーブン・スピルバーグら数名が候補に挙がったが、最終的にクリス・コロンバスが監督を務めた。コロンバスはスピルバーグに認められ、彼の主宰するアンブリン・エンターティメントで「グレムリン」(1984年)「グーニーズ」(1985年)「ヤング・シャーロック/ピラミッドの謎」を手掛けた。1987年に「ベビーシッター・アドベンチャー」で映画監督としてデビューした。1990年の「ホーム・アローン」で大ヒットを収めているので、こういうたぐいのものなら大丈夫だろうと起用されたのだろう。
コロンバスは子役の選定には、自身の監督作品「ホーム・アローン」に主演したマコーレー・カルキンの稼いだギャラを巡って両親が裁判を起こした件から、今作では両親がどんな人物か考慮して選んだということだ。
ダニエル・ラドクリフにこだわった監督
クリス・コロンバスは5000人ほどオーディションで審査したが、ハリー・ポッターにふさわしいのがいないと落胆した。だが1999年の「デヴィット・コパーフィールド」に出ていたダニエル・ラドクリフをこれだと思い、キャスティング・ディレクターにこの作品を見せた。しかし彼はラドクリフの両親はマコーレーの時とは正反対の、学業に専念してほしい、注目を浴びることも望んでいないということから採用できないよとコロンバスに告げた。そこで世界中の様々な国籍の子役に面接をした。だが、コロンバスはやっぱりラドクリフが最適だと思っていた。キャスティング・ディレクターである彼女はコロンバスがまだラドクリフにこだわっていたことにイライラしていたという。
だが、本作のプロデューサーと脚本家が劇場へ観劇に訪れたところ、最前列にラドクリフと父親がいたので、そこで彼らを説得して最終的にラドクリフに決まったのだという。
聖堂での撮影を巡るごたごた
カンタベリー大聖堂での撮影を考えていたが、大聖堂の司祭がキリスト教の教会が異教のイメージを広めるために使われるのは不適切と撮影許可を出さなかった。そこでグロスター大聖堂に頼んだところ、ニコライス・ベリー大司教は快く許可した。彼はハリー・ポッターの大ファンだったのだ。地元の大聖堂を撮影場所に使用されるという報道が流されると、グロスターではメディアから大きく抗議があった。クレームをつけた人々は地元の新聞に、これは冒涜だというという手紙を大量に送ろうと、撮影クルーが聖堂に入ろうというものならこれを阻止しようと約束と取り付ける。でも結局抗議に来たのはひとりだけだった。
アメリカでは違うタイトルになった
この映画と小説のタイトルにある「賢者の石」はアメリカではなじみのない概念であった。アメリカの出版社はローリングにタイトルを変えることを要求した。おかげで映画を原作と一致させるために、賢者の石と言っているとセリフとこれを差し替えするためのものと2回撮影をしたとか。めんどくさいなあ、でもこういう風に2回撮るというのもさすがハリウッドと感服するしかないのだった。
J・K・ローリングはこのタイトル変更を許可したのは後悔していると述べた。しかし当時は駆け出しの作家だから、それに抵抗できる立場ではなかった。だが、アメリカのファンからもなぜ「賢者の石」というタイトルを使っていないのかという質問を何回も受けたという。
製作したのはハリウッドであるが、撮影はイギリスで行うために大半の出演者がイギリスの俳優だったので、原作は児童文学だが、渋い役者が集まった。リチャード・ハリス、アラン・リックマン、エマ・ワトソン、ジョン・クリース、ジョン・ハート、マギー・スミスという顔ぶれだ。
アラン・リックマンは自分の演じる役の背景は原作者から教えてもらったそうだが、ローリングがそのバックボーンを書いたのはシリーズ最終作であった。
長い長い原作とその映画化
さて原作も長いが映画の方も長い。今でこそ2時間半が標準みたいなものになったが、2000年のはじめまでは2時間半や3時間ぐらいあると超大作の部類だったのだ。もちろんハリー・ポッターシリーズは大作だから、これくらいあるのも当然というファンも多いだろう。でも私は熱烈なファンでもなかったので、とても冗長に思えた。
映画のタイトルは失念したが、友人たちが集まったパーティでこれから明け方まで「ハリー・ポッター」シリーズのビデオを見るつもりだというジョークがあったが、各作品長いというのは誰でもわかっていたから通じる冗談である。それだけ人気のあるシリーズで、映画が長いという野暮なことを言うのは私だけであったのだろう。
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