「スパイ大作戦」とはまるで違う「ミッション・インポッシブル」

「ミッション・インポッシブル」の8作目にして最終作が2025年5月23日から日本で公開されます。最終作という予定ではありますが、興行収益がメガヒットになったらまた作るかもしれません。

そこでこのシリーズの第1作を振り返ってみたいと思います。

ミッション・インポッシブル スパイ大作戦が原作

トム・クルーズはこの映画のプロデューサーも兼任していますから、当初からこの作品のシリーズ化を狙ったのだと思います。

昔は日本映画もハリウッド映画も映画会社がスターを育てる形式でした。ゆえにハリウッドも日本の映画会社もスターにこれが良いだろうとお仕着せの企画に出演させるのだが、

スター自身も会社から与えられる映画出演ばかりなのは不満もあります。それで自身のプロダクションを作り自分がやりたいものを企画してそれを映画会社が製作配給してくれるように話合いをするようになっていくのです。

1960年後半から1970年代前半くらいまではハリウッドも邦画も興行的な落ち込みから、スターを各社の専属という縛りをしなくなります。

そして1980年からは映画会社はスターを育てません。だからスター自身がプロデュースしなくてはなりません。

トム・クルーズも自身の大ヒット作になる企画を探していたのでしょう。そこでテレビの人気シリーズ「スパイ大作戦」に目をつけたわけです。

ミッション・インポッシブル スパイ大作戦を映画化

パラマウントが「スパイ大作戦」の映画化権を得ており、これをいつか製作しようとしていました。トム・クルーズもこの番組が好きでしたから、このパラマウントが権利を得ていることを知って製作しようと決めたわけです。そこで自分で作品をコントロールすべく、自身のプロダクションでプロデューサーと主演を兼任、監督の選択もできるようにしたのです。

ミッション・インポッシブルの原作 スパイ大作戦とは?

さて「スパイ大作戦」とはどんなテレビドラマでしょうか。

1966年(日本では67年から)~1973年までに放映されました。

内容はアメリカ政府が表向き関与できない秘密任務を選抜された独立機関IMF(Impossible Mission Force)の工作員チームの活躍を描くドラマです。

このドラマの定型はチームのリーダーに“当局”から指令がきて、リーダーが作戦を立てて、参加するチームが任務を遂行するというものです。

それでこのドラマが特徴的なのは“当局”の指令をリーダーが指令をオープンリール式のテープレコーダーで聞くところなんですが、この指令もフレーズがあります。

「おはよう、フェルプス君」という第一声から始まり、依頼する指令の説明をします。そしてそれが終わると

「例によって君、もしくは君の仲間が捕らえられあるいは殺されても当局は一切関知しないのでそのつもりで」で締めます。「なおこのテープは自動的に消滅する。成功祈る」と言うとテープから煙が出て消滅する。

この指令のナレーションと指示を受けるチームリーダーと指令したテープは証拠隠滅するというのがとても受けました。コントでもこれをネタにしたものもありましたね。

スパイ大作戦とはあまりにも違うミッション・インポッシブル

だから「ミッション・インポッシブル」の第1作を観たら、唖然としましたね。チーム・リーダーのフェルブスが裏切り者になっているという設定にはなんだ、こりゃ?と思いましたよ。

これはテレビシリーズのオリジナルメンバーもこの改変に批判をしました。

当のフェルブスを演じたピーター・グレイブスは「彼らがジョン・ヴォイトが演じた人物をフェルブスにしたことは残念に思う」と述べました。オリジナルのジム・フェルブスを演じたピーター・グレイブスが登場して、メンバーに「みんな、私は引退してハワイに行く。ありがとう、さようなら。これからは君たちにまかせる」という場面を付け加えたら、こんなことにならないと提案もしています。

 

ローラン・ハンドを演じたマーティン・ランドーは、この映画化の最初の脚本にはチーム全体を1度に破壊すると書いてあるので、私は反対した。それだと単なるアクション映画で「スパイ大作戦」ではない。「スパイ大作戦」は心理戦である。オリジナルシリーズの我々が参加する・しないどちらが理想的かは関係ない。自分のキャラクターが自殺するボランティアに参加したいと思うかね。だから私は降りた。と述べています。どうやらオリジナルキャストをゲスト出演させる予定だったのが、フェルブスの裏切りで、オリジナルメンバーが死ぬという展開が気に入らず、出演しなかったもようです。

バーニー・コリアーを演じたグレッグ・モリスは完成した映画を観たのですが、途中で席を立ちました。彼もフェルブスの扱いにうんざりしたと言います。

スパイ大作戦のファンには不評のミッション・インポッシブルだが大ヒットしてシリーズ化

このテレビドラマシリーズを観ていた人には不評(私もこんな改変は気に入りません)を買ったにもかかわらず、「トップガン」で人気が出たトム・クルーズのスタントマンに頼らない体を張ったアクションのために大ヒットを記録しました。

またこの映画が製作された1995年には、もうオリジナルのテレビシリーズにノスタルジーを感じる人は少なくなってしまったのでしょう。

なんで原作とは大違いの内容になったのか、ミッションインポッシブル

しかしこの改変にはトム・クルーズが自分の人気を維持するために必死だったからとも言えると、私は考えています。

フェルブスの裏切りによりメンバー皆殺しになりますが、トム・クルーズ演じるイーサン・ハントだけ生き残ります。つまり、トムが演じるイーサン・ハントを際立って目立たせるためにこの改変を行ったのでしょう。そして彼の独り舞台で、吹き替えなしの自身が演じるアクションを売り物にする作戦であったのです。

この作品からトム・クルーズはアクション路線にシフトするのです。これが彼が32歳の頃の作品ではありますが、「ファイナル・レコニング」では60歳を超えていますからね。それでも度肝を抜く大アクションには頭が下がります。

 

ここまでやるというのは、やはりトムとして映画スターという地位を継続する賢明さを感じます。浮き沈みの激しいショウビジネス、生き馬の目を抜く芸能界ですから、いつの間にか人気が無くなっちゃうということもあるから、私などは大変だなあと思うんです。

トム・クルーズはこのシリーズで大スターとしての地位を確保したのだが・・・

しかしだからといって原作レイプはどうも・・というところです。

テレビのオリジナルメンバーがいないばかりか、イーサン・ハントがチームリーダーになり回を追うごとに指令を伝える場面でも「君もしくは君の仲間が捕らえられあるいは殺されても当局は一切関知しないのでそのつもりで」とか「なおこのテープは自動的に消滅する」というフレーズも無くなっちゃったら、もはやこれは「スパイ大作戦」じゃなくなってします。

かろうじて「ミッション・インポッシブル」というタイトルはそのままであり(テレビシリーズ版も原題はこれです)、テレビシリーズのテーマ曲を使っているのでちゃんとこれは「スパイ大作戦」の映画化であると意識させるのである。

原作をないがしろにして変えているわけではなく、ちゃんとリスペクトしているということなのでしょう。

オリジナルをこれだけ改変したら、トム・クルーズがワルモノにされそう・・・だけどイメージダウンにはならなかった。

でもやっぱり、「スパイ大作戦」であるというところも若干残してほしかったというのが正直なところです。これだとトム・クルーズが自分のために原型ととどめぬほどに破壊して、原作へのリスペクトが微塵も感じられないものにしか見えませんからね。

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