最後の映画スターと呼ばれる二人の分岐点
ハリウッドには今も人気俳優が数多く存在します。しかし、「この俳優が出るから映画館へ行く」という観客動員力を持つスターは急速に減少しています。
そんななかで、いまだに世界規模で観客を劇場へ呼び寄せる存在としてトム・クルーズとブラッド・ピットがいます。ふと気が付けば、彼ら以降に映画スターと呼べる人がハリウッドで生まれていません。ゆえにこのふたりは最後の映画スターと呼べる立ち位置にいます。
両者は同世代であり、1990年代から現在まで第一線で活躍してきました。しかしキャリアの歩みを振り返ると、彼らはまったく異なる方向へ進んでいたことが分かります。そこで彼らがどういう立場にいるのか述べていきます。
トム・クルーズは「映画」を信じ続けている
2025年、「ミッション:インポッシブル/ファイナル・レコニング」を携えてカンヌ国際映画祭に登場したトム・クルーズは、映画館で不特定多数の人々が同じ体験を共有することの価値を改めて強調していました。
この発言は映画ファンがなぜ映画館で観るのか。レンタルDVDやサブスクですませりゃいいのに、と言われた際に、答えとしてよく出すものですね。映画を観る形態が時代が進むにつれ変化するのは仕方ありません。でも映画館にはそれに勝る魅力というのがこれなんですよ。トムもそれを痛切に感じているスターだと言えます。
彼のキャリアそのものが映画館という場所への信仰によって支えられているのを承知しているのです。
近年のトム・クルーズ作品を思い浮かべると、観客が期待するのはまずストーリーではありません。
「今回は何をやるのか」ですね。
本当に飛ぶのか。 本当に落ちるのか。 本当に走るのか。
その挑戦自体が作品の価値になっています。
俳優でありながら、同時に映画興行そのものの広告塔でもあるということです。
映画スターという言葉が最も似合う俳優は誰かと問われれば、今なお真っ先に名前が挙がる理由もそこにあるのでしょう。ファンは作品の出来よりも、まず今度のトム・クルーズはどういう顔を見せてくれるのかなというのが重要なわけです。
ブラッド・ピットは「人生」を演じ続けている
一方、ブラッド・ピットはまったく違うスタンスですね。
2025年公開の『F1(R)/エフワン』について、彼はこの作品を「キャリアの中でも最も特別な経験の一つ」と語っていました。さらに20年間レース映画を作ろうとしていたことも明かしています。しかし興味深いのは、彼が語る内容がレースそのものではなく主人公ソニーの人生であることです。
彼はこの人物を、
「人生で答えが出なかった問題と再び向き合う男」
として捉えています。
これは近年のブラッド・ピット自身にも重なることでしょう。
若い頃の彼は世界一の美男子として語られています。
しかし年齢を重ねるにつれて、
失敗。 後悔。 再出発。 老い。
そうしたテーマを抱えた人物を選ぶようになります。
彼はスターでありながら、スター性を解体する方向へ進み続けてきたのです。
なぜふたりは最後の映画スターになったのか
現在のハリウッドでは、俳優よりもキャラクターが強いと言えましょう。
観客はアメコミの実写映画に登場するスーパーヒーロー作品を観に行くのであって、必ずしも出演俳優を観に行くわけではありません。そのキャラクターを演じる俳優は重要でしょうけれど、まあキャラクターに合っていれば配役は誰でも良いとなりますね。例えばスパイダーマンを演じるトム・ホランドが見たいという風になっていませんでしょう?他の映画でトム・ホランド主演の作品をヒットさせるのは難しいですよ。そこは映画の中身のアピールが重要です。そうでなければヒットしませんね。
しかしトム・クルーズとブラッド・ピットは違います。
トム・クルーズ作品には、
「次はどんな映画体験を見せてくれるのか」
という期待があります。
ブラッド・ピット作品には、
「今度はどんな人間を見せてくれるのか」
という期待があります。
つまり前者は映画そのものの魅力を体現し、後者は人生そのものの魅力を体現しています。彼らの最新作「DIGGER/ディガー」と「ハート・オブ・ビースト」を観ても分かりますね。
結論
私は、この二人の違いを次のように表現できると思います。
トム・クルーズは映画の未来を信じている男です。
ブラッド・ピットは人生の複雑さを信じている男です。
だから観客はトムを見て興奮し、ブラッドを見て共感するのです。
映画館という場所が生み出す高揚感を代表する俳優がトム・クルーズなら、人間が抱える後悔や成長を代表する俳優がブラッド・ピットだと考えます。
同じ「最後の映画スター」と呼ばれながら、その本質はまったく異なりますね。
だが、その違いこそが二人を40年以上にわたって頂点に立たせ続けている最大の理由なのでしょう。
