果てしなきスカーレット海外 国内同様に海外でも酷評なのか?PART1

封切り当初から酷評の嵐の「果てしなきスカーレット」。これだけ酷評されていたら、返って興味が出てくるのが映画好きの習性であります。

ここまで叩かれるのであれば、私はアニメオタクでも細田守監督のファンでもないが、そこまで言うことはないでしょう。ほらここが良いじゃないですか、ここを褒めてよというのがあるだろうと思って鑑賞しましたよ。

しかし封切られてから最初の日曜日というのに観客が私を含めて5人しかいませんでした。これではコケるかもしれません。これはどうしたことか、酷評が影響しているのか、細田守監督はアニメオタクの神じゃなかったのかとこの状況は関係者でもないのに目を覆いたくなるものでした。

で映画を観ると酷評なのも納得かなというものでした。細田監督、庇おうと思ったのに酷かったので酷評もむべなるかなと思いましたよ。細田監督、擁護できなくてすみません。

さて、多少の高評価もありますが興行的にも批評的にも惨敗になりそうな「果てしなきスカーレット」でありますが、それならば海外での評判はどうなんでしょうと気になりました。そこで海外でのレビューを紹介します。

・・・と言いながら最初はジャパンタイムスに掲載されたレビューを紹介します。日本で発行されている英字新聞じゃないか、海外じゃないだろうという突っ込みを受けそうですが、このレビューを書いたのはマット・シェリー氏です。

日本の新聞に寄稿している方なので日本に住んでいるとは言え日本人のアニメオタクとは違った視点になるのが興味を引くところです。

果てしなきスカーレット海外 細田守監督の新作

細田守監督の新作は一大イベントだ。過去20年間、細田監督はアニメ監督として稀有な存在となった。

『サマーウォーズ』(2009年)、『バケモノの子』(2015年)、『BELLE/ベル』(2021年)など、既存の漫画を原作としないオリジナル作品で数々の興行収入を記録してきた、誰もが知る名監督だ。また、スタジオジブリ作品以外で唯一アカデミー賞にノミネートされたアニメ映画、2018年の『未来のミライ』も監督した。

細田監督はまた、驚くほどの一貫性も備えている。2006年の『時をかける少女』以来、彼は3年ごとに7月下旬に新作を公開するという、時計仕掛けのようなペースで映画を制作してきた。

そのため、2024年の夏が過ぎても細田監督の新作が公開されなかったことには驚きを隠せない。そして、今年初めに『スカーレット』の初予告編がオンラインで公開された時も、私は再び驚きを隠せない。

果てしなきスカーレット海外 主人公ふたりのキャラクターは正反対の性格である

細田監督の前作『ベル』が『美女と野獣』を彼なりに解釈した作品だとすれば、『スカーレット』は彼なりの『ハムレット』と言えるだろう。芦田愛菜が声を担当する主人公はデンマークの王女。彼女の父(市村正親)は、狡猾な兄クローディアス(役所広司)に裏切られ、クローディアスは国王を処刑して王位に就く。

スカーレットは叔父を毒殺することで復讐しようとするが、その前に叔父も彼女を毒殺する。スカーレットが目を覚ますと、そこは不毛な地獄のような世界だった。そこは時空を超えて彷徨う魂たちが住む地獄のようで、その中には現代の東京から来た救急救命士、聖(岡田将生)もいた。

スカーレットと聖は正反対のキャラクターだ。彼女は復讐に執着する戦士、聖は共感を信じる医療従事者だ。しかし、二人は共に旅をし、スカーレットがアンデッドのクローディアスを探す中で、敵と戦い、仲間を増やしていく。

果てしなきスカーレット海外 細田監督の新作の制作が長くなったのはどうしてなのか?

本作が細田監督の通常の3年という制作期間よりも長くかかった主な理由は、監督が「伝統的な手描きの日本アニメでも、ピクサー風のデジタルアニメーションでもない」と自ら表現するハイブリッドな作風を考案していたためだ。

今年初めに公開された予告編は、私の目には出来の悪いビデオゲームのように見えたが、もしかしたらショットが不完全だったか、あるいは全体を代表していなかったのかもしれない。完成した作品は素晴らしい。本作では、手描きアニメーションでは実現が困難、あるいは不可能な表情、リップシンク、戦闘シーンの振り付けが特徴的でありながら、アニメ特有の雰囲気はしっかりと保たれている。

『アラビアのロレンス』や『ロード・オブ・ザ・リング』三部作といった叙事詩を彷彿とさせる大群のシーンや、古びた巨大な岩や暗く不気味な雲が織りなす、広大で没入感のある風景も描かれている。

果てしなきスカーレット海外 日本アニメの伝統的な手法と新しい試みが良い。

日本の手描きアニメーションのファンとして、細田監督の新たな手法が伝統的なスタイルを完全に置き換えることは望まないが、新しいことに挑戦するクリエイターには感心せざるを得ない。『スカーレット』で、彼は全く独自の世界観と感覚を生み出した。

しかし、ストーリーテリングははるかに従来型だ。これまでの多くの作品と同様に、細田監督は異なる世界から来た二人の人物(『バケモノの子』のように、彼の現代版キャラクターは渋谷からやって来るが、今回はピカピカに磨かれ、高級化された2025年版だ)をペアにし、互いに人生の教訓を学ぶように描いている。

許しと忘れることについての陳腐なメッセージは、まるで矢が心臓に突き刺さるような繊細さで綴られている。

若い観客をターゲットにしているのかもしれないが、細田監督は観客を過小評価しているように感じられる。特に結末は陳腐だ。『スカーレット』は、物語を脇に置き、雰囲気を前面に出した時に真価を発揮する。そして、それが実現した時、この映画は見る価値のある冒険となる。

果てしなきスカーレット海外 酷評はしていないものの手放しで褒められたものでもないとしているようだ

マット・シェリー氏はアニメの表現として画像の華麗さを褒めています。これは「果てしなきスカーレット」を良い作品とする人に共通するものです。

しかし、ストーリー展開の悪さは酷評した人の多くがそうしているように、シェリー氏も欠点としてあげています。ラストが陳腐だということも私は共感します。特に傑作とは呼べないものの、駄作というわけでもない、という感じですかね。

でも物語の欠点はおいても雰囲気を大事にすれば見る価値があるとしていますから、駄作だと斬り捨ててはいませんね。

果てしなきスカーレット酷評 なんで見るも無残な出来になってしまったのか?
細田守監督の「果てしなきスカーレット」は2025年11月21日の公開当初から酷評の嵐です。しかも興行的に大爆死しそうなんです。公開4日目で興収2億4000万円という低さ。本作品は正月興行用の映画なんですが、この興収では年を越せずに、12月中...

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