角川映画がやってきた
1970年代の日本映画はテレビの台頭により興行的不振に陥っていた。そこへやってきたのが映画会社じゃない出版社である角川書店の社長・角川春樹である。角川は自社で出版している小説を売る方法としてそれの映画化を考えた。映画を売り出せば原作も相乗効果で売れるというのは過去にもあったが、これを戦略としてぶちあげたのである。その角川映画の第一弾が「犬神家の一族」(1976年)であった。
角川映画が与えた日本映画の活性化
映画会社としては映画のプロとしてのプライドもあったから、異業種が映画を手掛けてどこまでやれるかと冷ややかであった。この作品を東宝で配給することになるのもいろいろ乗り越えなければならなかった。が、東宝としてもなんとかしなけりゃ、興行収益の落ち込みを止められないと思ってそれを引き受けたのであろう。結果として大ヒットし、角川映画は日本映画を活性化することになった。ここから異業種の人間が映画を手掛けるようになり、今では日本映画のメジャーな会社は製作会社ではなく、数社の企業が製作費を出して「何とかかんとか製作委員会」を立ち上げて映画の製作をして、それを配給するという形になった。今の東宝、日活、東映、松竹といった会社は映画の製作会社じゃなくて、配給会社になってしまった。こんな状態だと日本映画で大作というのはほとんど作られなくなった。
角川映画としても映画業界内で確固たる地位を得た
角川映画が日本の映画業界で幅をきかせるようになったのはこの「セーラー服と機関銃」(1981年)だろう。薬師丸ひろ子の人気を爆発させ、興行収入は真田広之主演の「燃える勇者」と2本立てで47億円という大ヒットを記録した。
アイドル映画にしてアート映画である異彩を放った作品
角川春樹も映画女優を育てるという方針で薬師丸ひろ子を売る戦略が成功して、彼女はこの時期のアイドル的に人気を出した。しかもアイドル映画でありながら、監督の相米慎二のカラーがよく出ているアート映画でもある。通常はこういう大ヒットした映画を商業主義と低くみがちなうるさ型の映画好きであるが、彼らにもこの映画は評価された。
これは角川映画ではない?
しかしこの映画は当初は角川春樹の企画ではなかった。相米監督が「翔んだカップル」の次を考えていたのだが、この映画の原作だった。相米はこの主役に薬師丸ひろ子が良いと思い、所属している角川春樹事務所に交渉に入った。だが、角川としては薬師丸を他社の映画出演はさせないという方針だったので断る。そこで角川春樹事務所経由ではなく薬師丸ひろ子に直接脚本を読ませた。脚本を気に入った薬師丸が角川春樹を説得して、出演が承諾された。
原作は角川書店から出版されていない
ところが意外なことに当時の原作は主婦と生活社が版権を持っていた。角川映画の薬師丸を他社原作の映画に出演させるのかという問題が起きてしまった。そこで角川書店が主婦と生活社に発行部数の3%を3年間支払うことと、原作者の赤川次郎には初版を100万部刷ることと、光文社の「三毛猫ホームズ」を全巻角川文庫で出すことを提示した。
他社の出版原作の映画化に力を貸した角川映画
そして映画の製作はキティフィルムが行い、宣伝を角川が引き受けた。製作費は角川も出していたが、そうした事情のためか、出来上がる映画に何の注文も文句もつけなかった。
おかげで相米のやりたいように映画はできたのだった。しかし、こういった事情を知らなかったためもあるが、封切り当時はあくまでもこれは角川映画ということで観ていた。今ではこれも角川映画という位置づけである。
監督のやりたい放題の作品
相米慎二監督はワンシーン、ワンカットで演出しているのが特徴である。これは映画の創成期の演出方法である。カメラを定位置に据えてそのまま撮る。そのうち、クローズ・アップ、バスト・ショット、ロングショットの組み合わせがより映画をエモーショナルなものができると気が付いて、今ではこれがほとんどの映画の創り方である。だから相米の手法は原始的であるが、これだと役者がセリフをとちったりアクションの段取りを間違えたりすると、ワンカットで撮っているからこれを最初からやり直さなければならなくなる。そうなると役者にも緊張感が生まれるがそれが観客にも伝わって意外とダレない。
パワハラ?厳しい相米監督の演出
薬師丸ひろ子を相米監督は徹底的にしごいた。未成年者にこんなにきつく演出すると今だとパワハラだと言われかねず、共演者も彼女を気の毒に思ったくらいくらいである。でも出来上がった映画で薬師丸の演技が格段に良くなったとも思えずそれが残念でもある。
いろいろ批判もあろうが角川映画の日本映画に対する貢献は大きい
ともあれ前述した事情から角川映画とは言えないかもしれないが、世間的にはこれも角川映画、この映画の大ヒットで角川映画の勢力は業界内でいちだんと格上げしたのは間違いなく、角川としてもこの映画に関わったのは幸運であった。しかし上り調子の時は運にも恵まれるのだな。やることなすことがうまくいくのだ。そういうことが私には起こらなかったので凡人として生涯を終えることになるだろう。
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