『紅の豚』の最も有名なセリフの一つである「ファシストになるより豚の方がましさ」というのがありますね。
宮崎作品にはしばしばこういった反戦メッセージが如実に表れるものがありますが、これもそのひとつですね。
この作品はももともと「飛行艇乗りが気ままに戦うロマンを描いた大人の漫画(短編)が発端」でした。ですが、制作中にユーゴスラビア紛争が勃発し、世界が再びナショナリズムや民族対立の泥沼にはまっていく現実と重なりました。
そうした時期でありましたから、このセリフを入れたのでしょう。作品の時代設定は1930年代で、二つの大きな世界大戦の間で、イタリアが舞台なのも台頭するファシズムの不安を背景に描かれるファンタジー映画です。
紅の豚海外の反応宮崎監督が込めた「日本」や全体主義への視座
この作品の背景には1930年代初頭のイタリア(ベニート・ムッソリーニ率いるファシスト政権下)だけでなく、当時の日本(大日本帝国)をはじめとする世界の全体主義や独裁国家を見据えています。
ポルコが国家に与する「ファシスト」になることを拒絶し、あえて自ら「豚(人間社会から距離を置いたはみ出し者)」を選んだのは、国家の名の下に個人の尊厳を踏みにじる全体主義への強烈な拒絶です。謎の呪いでポルコは豚の化身にされたとしていますが、もしかすると彼は台頭してくるファシズムに抵抗するために自ら豚になったのかも知れません。
イタリアを舞台としていますが、昭和初期から戦中にかけて軍国主義へと傾いていった日本への痛烈なアイロニーとも言えるでしょう。。
紅の豚海外の反応イタリア現地での評判・受け止め方
イタリアにおいて、『紅の豚』(原題:Porco Rosso)はスタジオジブリの作品群の中でも非常に愛されている人気作の一つです。現地での評判や反応には、以下のような特徴があります。
美しいイタリアへの愛とリスペクトへの驚きと称賛
イタリアの観客や批評家がまず驚くのは、ミラノの街並み、アドリア海の美しい島々(ダルマチア海岸やサヴォイア家の描写など)、そしてイタリア文化や飛行艇に対する宮崎駿監督の圧倒的なリサーチ量と愛の深さです。外国人が描いた「ステレオタイプのイタリア」ではなく、イタリア人が見ても郷愁をそそられる空気感が緻密に再現されている点が高く評価されています。イタリアの人が見ると、とてもリアルな絵なんですね。
「ファシスト」への皮肉の受け止め
イタリアでは、ファシズムの歴史は今なお非常にセンシティブで議論の絶えないテーマです。作中のファシスト政権への皮肉やポルコの姿勢について、現地の映画ファンやリベラル層は、「イタリアの歴史の暗部を、日本のアニメーション監督がこれほど深い理解とユーモアを持って、詩的に描いてくれたこと」に対して好意的な驚きを持って受け止めました。ポルコの「反骨精神」は、イタリア気質(反権力や独自の美学を重んじる気質)とも非常に相性が良く、共感を呼んでいます。
政治的背景(メローニ首相を巡る文脈など)について
現首相のジョルジャ・メローニ氏(イタリアのブラザーズ・オブ・イタリー党首)が過去にムッソリーニを評価するような発言をしたとされる件など、イタリアの現代政治には今なおファシズムの記憶や右派ポピュリズムを巡る複雑な分断が存在します。
こうした現代イタリアの政治状況に照らし合わせても、「国家の権威や全体主義に頼らず、個人の誇りを守るためにあえて孤立を選ぶ」というポルコの生き様は、時代を超えた普遍的なメッセージとして、今なおイタリアの観客の胸に刺さるものとして語り継がれています。
国や時代を問わず、「権力に迎合するくらいなら、人間であることをやめた(豚になった)ほうがましだ」というポルコのセリフは、イタリアが舞台になっているだけに、他の宮崎駿アニメよりもイタリア人には突き刺さるものとなっています。
紅の豚海外の反応 作品に対するもうひとつの視点
さて、海外での「紅の豚」の批評を読んで見ると、なるほど西洋らしいねという指摘が散見されます。
「まあまあ面白かったけど、主人公がちょっと女性蔑視的で、フィオのことを「可愛い子」と呼び、「綺麗に見えるためには寝なきゃいけない」と言っていた。自分の飛行機に女性だけの乗組員(女性だけの乗組員は最高だったのに!)が乗っていることにもあまり乗り気じゃなかった。
それに、フィオは17歳で、祖父はポルコに彼女に手を出さないように言っていた。彼女は17歳、彼は大人(豚)だ。カーティスはフィオと結婚したがっていたが、彼女は17歳で、カーティスの年齢は明記されていないものの、明らかに大人だった」
「ポルコは女性に対して性差別的な態度を取り、飛行機を組み立てる女性を拒否することで、男尊女卑的な考え方を露わにする」
といった具合に性差別を指摘していることです。これは私は初見でスルーしてしまいましたが、日本でこういう指摘はまず見ませんでした。公開された1992年はそういった性差別を指摘するのはちらほらありましたが、今ほどやかましく言われなかった時代でしたね。
この映画で描かれている男のロマンみたいなものは滅んでしまった恐竜のごとくでしたし、やっぱりこういう男臭さを出そうとするならば、そこには男尊女卑みたいなこともくっついてきますね。
日本ではほとんどこれは問題になりませんでしたし、今でもそんなこと言ったら、映画は何にも描けないよという人もいますしね。
紅の豚海外の反応 まとめ
私は映画を観ると他人の感想を聞きたがる性格なので、今のようにインターネットにより他人のこういった感想を日本だけでなく、海外のものも読めますね。
そういったところで自分とは違う意見も知ることが出来ますし、この性差別があるという指摘や、ファシズムに敏感に反応するイタリア人にハッとさせられたりして、視野を広げることもできます。
