新海誠監督は「君の名は。」(2016年)でのメガヒットで広く世間にその名を知らしめました。私もアニメオタクではありませんでしたから、この作品でこの監督の名前を知りました。
このメガヒットの前は「ほしのこえ」(2002年)、「雲の向こう、約束の場所」(2004年)、「秒速5センチメートル」(2007年)、「言の葉の庭」(2013年)があります。マイナーなアニメで小規模であり、新海誠の名もアニメオタクの知る人ぞ知るといったところですが、この中で実写映画としてリメイクされた「秒速5センチメートル」を取り上げてみます。
「すずめの戸締り」(2022年)が公開されたさいに、前作「君の名は。」の大ヒットを受けて本作も期待されていましたし、実際に興収147.9億でした。そんな監督さんのマイナーな作品の特集上映が映画館で組まれたので、わたしもそこで初めて新海監督の無名(とは言ってもアニメオタクにはそこそこ人気もあったようです)時代の作品に触れて新海誠監督作品のお勉強できました。
アニメ秒速5センチメートルは気持ち悪い?主人公・貴樹の性格が暗いから?
「桜花抄」「コスモナウト」「秒速5センチメートル」の三本の短編アニメを代表して最後のタイトルをこの作品のメインタイトルにしております。三本の作品は連作で話が続いていますからオムニバス映画とは言えません。このタイトルの意味は作品の冒頭で説明されている通り、桜の花びらが散って地面に落ちる速度ということです。
作品としては初恋のあの子が忘れられずいつまでもそれにこだわってしまうという内省的なお話で、まあ男のくせにいつまでもウジウジしてんじゃねえ、と昭和の時代ならそう言われるような男が主人公です。まあ今どき男のくせにとか言うともうアナクロな話で、男の子だってウジウジもするさと今ではそういう認識ですからね。昭和のように男は野獣的であらねば、と言ったら時代錯誤もいいところでしょう。新海誠監督は美しい風景の中に登場人物を置くことで「あなたも美しさの一部です」という意図があったようですが、「ひたすら悲しかった」「ショックで座席を立てなかった」という感想が多かったようです。
うまく表現できなかったと反省した新海監督は三話のラストを補完する形で「小説・秒速五センチメートル」というタイトルで初めて小説を書いたと言います。
劇場公開後、単館上映で半年でロングランを記録しています。アジア太平洋映画祭・最優秀アニメーション映画賞とイタリアのフューチャーフィルム映画祭で「ランチア・プラチナグランプリ」を受賞しました。
アニメ秒速5センチメートルは気持ち悪い?新海誠監督の描き方はどうなのか?
さて新海誠監督は「君の名は。」でメジャーな映画作家になったわけですが、それ以前はコアなアニメファンの人気を集めていた作家のようです。また「君の名は。」では商業主義に日和ったという感想もあったので、芸術映画系の作家であったようなのです。
この「秒速五センチメートル」もそんなコアなファンの評価が高いようです。一方、否定的な意見も散見する作品です。
主人公の遠野貴樹は心のうちを多弁なくらい語ります。邦画の悪い癖のひとつに挙げられるのはセリフによる説明が多すぎることですが、本作もそんな凡作のように思えます。説明が多すぎて薄っぺらなドラマになっています。しかしアニメの場合、複雑で微妙な表情などは生身の役者が見せる演技でありませんから、説明が多いのはやむを得ない部分はあります。
アニメ秒速5センチメートルは気持ち悪い?貴樹の相手に対する態度が最悪?
ところが本作では貴樹の気持ちはしつこいくらいよく分かりますが、彼の恋人たちに対する態度がなっていないな、思います。
明里が転校すると拗ねるし、彼女からお別れを告げられるとこれまた拗ねる。駅の待ち合わせに遅れたのにごめんねとかありがとうも言いません。クリスマスの電話に居留守だし、貴樹の明里に対する愛情はなくて、孤独な自分の心を埋める道具でしかないようです。
そのくせ明里には未練たらたらでその後の彼女とこころが通い合うことがありません。
高校生の時の恋人に対してもまったく彼女の感情を思いやるところがありません。
成人になっても恋人理沙とは1000通のメールを出しても、心は一センチも近寄れないなどとのたまう貴樹です。自分が美化した初恋の思い出にこじらせる面倒くさい男です。明里にこだわって新たな恋人とは心を通わせることをしないのです。
初恋を時々思い出すことは自分でもよくあります。でもそれにこだわって新しい恋がうまくいかなかったというわけではありません。そんなところから貴樹はいつまで初恋にこだわるのか、と女性から見たらそう思う方も多いでしょうね。
秒速5センチメートルは気持ち悪い?貴樹の初恋に対する思い出は暗くて粘着的だけど、男なら理解できるか?
でも男はロマンチックなもので初恋の相手に甘美な思い出を作るのです。女性は現実的で新しい恋人が出来たら過去の彼氏など忘れてしまいますね。過去にこだわっても仕方ない、というのは女性が現実的だからでしょう。
良くラブストーリーはロマンチックで夢見る乙女のものと思われがちなんですが、女性は映画とか漫画などにロマンチックなラブストーリーを観るけど、それは架空のものだから楽しめると割り切っているのでしょう。
でも男性は現実でも夢見ていて女はこうであらねばならないと現実離れしたイメージを作ってしまうし、初恋にこだわるのもどこかそれに幻想を抱くのでしょう。
これはそういうことを描いた作品だと思います。もちろん新海誠監督の体験談でもあるのだと思います。新海監督自身の映像は見たことありませんからどういう性格なのかわかりませんが、想像では貴樹は監督自身だと思っています。新海誠監督だってこの貴樹を否定的に描いていません。こんな男は男らしくないとか、グズグズしていてダメとはしていません。新海監督も初恋については甘いものを感じていると思いますね。男の幻想だから本来は欲まみれのドロドロしたものを絵柄をキレイなものにして描いてあまり嫌悪感を持たせないように加工したものなんでしょう。
でもいつまでもウジウジと明里のことに粘着する陰気な男として女性は嫌うのでしょう。
これは男の幻想を描いたものとして観客は男性向きの作品だと思いますね。
アニメ秒速5センチメートルは気持ち悪い?貴樹が孤独感を癒されるのは明里だけである。
またこの作品ではこうやって貴樹が明里にこだわるのは彼女に共感するところがあったからでしょう。
お互いに転校を繰り返し友達の出来ない孤独な子供であります。そのうえにふたりとも病弱です。こんな境遇だからお互いに鏡を見ている自分だったから仲良くなったのでしょう。
でも貴樹は明里のことを恋人としてではなく、自分の心の穴を埋めてくれるグッズにしか思っていないでしょう。だから前述のような塩対応です。子供なら自己中心なのは当たり前でそこで周りの関わり合いから相手のことも考えるという気持ちがわいてくるのでしょう。ですが貴樹はそれがまったく芽生えないままに年を取っていきます。
貴樹にとっては明里は愛している人ではなくて、自分の好きな物体でしかないのです。物体におもんぱかることしなくてもいいですからね。自分の孤独感を慰めものとしか見ていません。それを失ったから、心の穴を埋められずいつまでも明里のことにこだわっているクズな男にしか見えませんよね。
そのことを明里は察知したのでしょう。彼女も貴樹を自分の孤独感を癒す人と見ていて、それが恋の相手としてはぴったりだったのでしょう。しかし、付き合っていくと貴樹の冷たさにうんざりしたのでしょう。
駅での待ち合わせで明里はこの男と決別する決意をしたと思いますね。約束の時間に遅れてもごめんなさいもありがとうもない男と付き合ってもしょうがないですからね。
アニメ秒速5センチメートルは気持ち悪い?貴樹は寂しさを克服できていない?
だから明里は他の男と結婚できた。しかし貴樹は初恋をこじらせて別の恋を実らせることができなかった。明里以外に自分の孤独を癒してくれる女性は現れないと感じていますね。だからますます初恋にこだわるんでしょう。
こういう心の闇をキレイな映像と山崎まさよしの優しい歌声で、汚いところを洗浄して見せるアニメなのです。
しかし、この主題歌も男の自己中心的でナルシズムを感じさせて何回もこの歌詞を注意して聞くとなんかこの歌詞の男の心の闇を感じさせますね。男の私からしてもちょっと気味が悪いですよ。
 
  
  
  
  
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