なぜ東宝はゴジラを作り続けなかったのか? 「ゴジラの逆襲」と「キングコング対ゴジラ」の七年間が意味するもの

ゴジラ映画史には奇妙な空白が存在します。 

1954年11月3日公開の『ゴジラ』は日本映画史を変えました。翌1955年には続編『ゴジラの逆襲』が公開されました。しかしその後、ゴジラはスクリーンから姿を消すのです。次に現れるのは1962年の『キングコング対ゴジラ』でした。   

わずか一年で続編を作った映画が、その後七年間も途絶えたのです。 

現代の映画ファンの感覚からすると、この事実はむしろ異常に思えます。現在なら大ヒットシリーズは毎年のように続編が作られ、人気がある限り展開が続くきます。まして『ゴジラ』は日本映画史上でも屈指の成功作なのです。なぜ東宝はゴジラをシリーズとして増殖させなかったのでしょうか。 

しかし、この疑問自体が現代人特有の発想なのかもしれません。 

私たちは「ゴジラシリーズ」という完成された歴史を知っています。だから1954年の時点から東宝にもシリーズ化の構想があったように思い込んでしまいます。だが実際には、初代『ゴジラ』はシリーズ第一作として作られた作品ではなかったのです。 

あの映画は原水爆の恐怖を背景にした極めて同時代的な作品であり、一篇の社会派怪獣映画として完結しています。ゴジラは戦後日本の悪夢の象徴であり、後年のような親しみやすいキャラクターではないのです。私もゴジラと言えば後年の人類の味方の酔うキャラでありましたから、第一作のゴジラの雰囲気には驚かされました。 

ゴジラの代わりに東宝が作ったもの   

東宝にとってゴジラとは、まず「怪獣」というキャラクターではなく、一つの映画だったのです。 

だからこそ『ゴジラの逆襲』後に東宝が取った道は興味深いものです。 

彼らはゴジラを量産するのではなく、特撮映画そのものを発展させる方向へ舵を切りました。『ゴジラ』第一作も特撮を活かす企画として制作されました。 

『空の大怪獣ラドン』では怪獣映画の可能性を空へ拡張し、『大怪獣バラン』では新たな怪獣創造を試みたものです。『モスラ』では海外市場も意識したファンタジックな世界観を構築していました。 

さらに東宝は怪獣映画だけに留まらないのでした。 

『地球防衛軍』『宇宙大戦争』では宇宙からの侵略というテーマを描き、『美女と液体人間』『電送人間』では科学の暴走による怪人譚を映像化していくのです。『日本誕生』では神話へ、『世界大戦争』では核戦争による終末へと題材を広げました。 

つまり東宝はゴジラを忘れていたのではありません。 

ゴジラよりも大きなものを見ていたのでした。 

怪獣映画より大きかった東宝の構想   

それは「特撮」という表現手法そのものだったのです。 

現在から振り返ると、この時代は「ゴジラ不在の七年間」ではないのです。 

むしろ「東宝SFが最も自由だった七年間」でした。 

後年の東宝特撮は、良くも悪くもゴジラを中心に回転することになります。しかし1950年代後半の東宝は違います。怪獣、宇宙人、変身人間、神話、終末戦争と、SF的想像力があらゆる方向へ枝分かれしていたのでした。 

アメリカSF映画との決定的な違い   

この多様性はアメリカ映画と比較するとさらに際立ちます。 

確かに同時代のアメリカでもSF映画は盛んでした。しかし多くはB級映画として扱われていたチープな作品でした。一方、東宝特撮は東宝の看板作品です。円谷英二は最高級のスタッフを率い、池部良、宝田明、佐原健二、三船敏郎といったスター俳優が出演したのです。アメリカと違い、SF映画でありながら、大作映画として制作されたのでありました。 

当時の日本においてSFは決して主流文化ではありません。ごく一部のスキものの趣味でしたし、宇宙人やモンスターが出てくるので子供向けというイメージです。 

それにもかかわらず東宝は映像によるSF表現を一般大衆の娯楽として成立させていきます。 

これは日本SF史において極めて重要な功績です。 

だから私は「なぜゴジラを7年間作らなかったのか」という問いに対して、単純に失敗や迷いの歴史として見ていません。 

むしろ東宝はゴジラという成功に安住しなかったからこそ、日本のSF映画の可能性を押し広げることができたのではないでしょうか。「ゴジラの逆襲」の後もゴジラを作っていたら、日本のSF映画はこんなにバラエティに富んだ作品群が生まれなかったでしょうね。 

七年間の空白とは停滞ではありません。 

実験の時代だったのです。 

なぜ日本SFは最後にゴジラだけが残ったのか   

もっとも、その実験の結果を振り返る時、私は少し複雑な気持ちにもなります。 

現在、世界において最も知られている日本のSF映画は間違いなく『ゴジラ』です。ハリウッドで何度も映画化され、巨大な国際的フランチャイズとなったこと自体は喜ばしいことです。 

しかし1955年から1962年までの東宝特撮の歴史を見ると、本来そこにはもっと多彩な可能性が存在していたのです。 

怪獣映画だけではありません。侵略SFもあり、変身人間ものもありました。終末戦争も神話ファンタジーもあったわけです。 

にもかかわらず、その豊かな流れは最終的に「ゴジラ」という巨大な名前の中へ回収されていきます。 

もちろんそれはゴジラが偉大だからでしょう。 

だが同時に、日本SF映画の歴史がほぼゴジラの歴史として語られてしまう現状に、一抹の物足りなさを感じるのも事実です。 

まとめ 

『2001年宇宙の旅』のように世界のSF映画史を書き換えるような作品が、日本からもっと生まれていてもよかったのではないでしょうか。そうであれば、日本のSF映画もアニメのようにいまなお製作され続け、海外のファンからも羨望のまなざしをもらえたでしょう。日本のアニメとゴジラは日本が誇るサブカルチャーです。ゴジラのそれを日本のSF映画に例えられればもっと良いとおもいます。それはSF映画好きの私にとっても嬉しいことです。 

東宝は確かにその可能性を持っていました。 

そしてその可能性が最も豊かに花開いていたのが、皮肉にもゴジラが不在だった七年間だったのです。 

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