ジョン・ウィック3ひどい なぜシリーズ3作目で失速したのか?原因を徹底的に探る

ジョン・ウィックシリーズはその独特の世界観で裏社界が描かれていて、そのスタイリッシュなアクションと映像美がうけたアクション映画です。だからファンも多いけど、批判する人もおおいのです。 

 さてその3作目『ジョン・ウィック:パラベラム』は「ひどい」と声が多くなりました。その背景には、主に以下のようなポイントや、シリーズを重ねることで生じた変化に対する好みの分かれ道があります。 

 ジョンウィックひどい なぜか?①アクションの過剰さと「胃もたれ」感

シリーズの最大の見どころであるアクションですが、今作ではその規模や密度がさらにエスカレートしました。 

延々と続く戦闘シーン: 本編のほとんどが銃撃戦や近接格闘で占められており、ドラマ部分との緩急が少ないため、「途中でお腹いっぱいになってしまった」「後半は少し飽きてしまう」と感じる観客がいます。 

ワンパターン化の懸念: 次々と敵を倒していくスタイルが似たようなテンポで続くため、人によっては単調に映ることがあります。 

 ジョン・ウィック3ひどい なぜか?②世界観の拡大と「話が大きくなりすぎた」ことによる迷走

第1作は「愛犬の復讐のために裏社会で暴れる」という、非常にシンプルで身近な動機とこぢんまりとした世界観が魅力でした。しかし、作が進むにつれて設定が巨大化しています。 

主席連合などの難解な組織: 謎の組織や裏社会のルール(掟)がどんどん複雑化し、「最初のシンプルな復讐劇の方が好きだった」「組織の構造や目的が曖昧でわかりにくい」という不満の声があります。 

 ジョン・ウィック3ひどい なぜか?③主人公の不死身さ(リアリティの欠如)

ジョン・ウィックの戦闘力が非現実的なレベルに達し、どれだけ大けがをしても、高いところから落ちても生き延びるため、「ご都合主義的で漫画っぽく見える」という批判があります。 

第1作にあったような、泥臭く追い詰められるリアルなサバイバル感が薄れたと感じるファンも少なくありません。 

 ジョン・ウィック3ひどい なぜか?④1本の映画として完結しない「中途半端な終わり方」

 『パラベラム(Parabellum)』というサブタイトル(ラテン語で「戦いに備えよ」の意味)が示す通り、本作は明確な結末を描かず、次作へ話を繋ぐための「繋ぎの章」のような構成になっています。 

「映画単体としてスッキリ終わってほしい」「話を無理やり引き延ばしているように感じる」という意見も、批判的な評価につながっています。 

ジョン・ウィック3ひどい なぜか?⑤日本人ならではの違和感?

昔の外国映画の日本描写はハチャメチャでしたが、昨今はこの辺のリサーチがばっちりですからあまり違和感がないのです。しかし、このジョン・ウィックパラベラムに登場した日本描写はまるで昔の映画のようなおかしさであります。

  • ゼロの役柄: ゼロは寿司屋の店主に見せかけた裏社会の刺客で、ジョン・ウィックの大ファンという設定です。 まあここはシリーズならではの荒唐無稽さで大目にみてやるというところですか。

  • 日本語のセリフ: 劇中で片言の日本語や寿司に関するセリフを話しますが、ネイティブの日本人俳優ではないため、日本国内の観客からは「日本語が少し独特(なんちゃって日本風)」と話題になりました。

  • 裏話: 当初は日本の名優である真田広之が起用される予定でしたが、撮影前にアキレス腱を負傷し手術をしたため、マーク・ダカスコスへ交代となりました。 マーク・ダガスコスはの母モリコ・マクヴェイ=マレイ(Moriko McVey-Murray)は日本人とアイルランド系アメリカ人の混血。父アル・ダカスコス(Al Dacascos)はスペイン人、中国人、フィリピン人の混血で、なぜか姓はギリシャ系である。いろんな人種のクォーターで、日本人の決闘もあるが、生まれ育ちも日本ではないので、本作での日本語が腰砕けになるのは大目にみてください。あ、でも加藤雅也と共演した「クライング・フリーマン」では流ちょうな日本語を使っているとか。私はこの作品を観ていないので、機会があれば観てみたいものです。彼は両親がカンフーの師範代だから、彼もそれを学びこれを活かしてアクション映画で活躍している俳優です。でも大体低予算の映画が多く、メジャーな映画はこの作品くらいのようです。

なお、日本文化や本物の日本人キャスト(真田広之やリナ・サワヤマなど)が本格的に主要キャラクターとして登場するのは、次作の『ジョン・ウィック:コンセクエンス』(第4作)の大阪コンチネンタルホテルのシーンになります。本作に出なかったのは返ってよかったのかも?

ジョン・ウィック3ひどい なぜか?⑥ひどく見えるのは作者の意図が観客に伝わらなかったからである。

チャド・スタエルスキ監督はインタビューで、次のように語っています。

「この映画を見て笑ってもらいたいと思っている。だいたい、子犬が殺されたからって何百人もの人間を殺すなんて、どう考えてもバカバカしいだろう? 私たちは(観客がそれをどう思うか分かった上で)自分たちもそのジョークに乗っかっているんだ」

つまり、作り手側は「リアルで重厚な大作シリアス劇」としてだけに作っているわけではなく、「これだけ過剰で理不尽な設定を、どこまでスタイリッシュかつ大真面目にやり切れるか」というエンタメとしての遊園地的な楽しさ、おかしみを狙っています。
アクションの規模や演出も、シリーズが進むにつれてエスカレートしていきます。監督曰く、「階段を10段落ちたら痛そう(残酷)だが、200段も転げ落ちたらもはや面白い(滑稽)」というように、人間の脳が処理しきれないほどの過剰な暴力を突き詰めることで、観客が「怖さ」を通り越して「思わず笑ってしまう・爽快感を覚える」という心理的反応(サイコソマティックな反応)を計算して作られています。
行き過ぎた「かっこつけ」や、外国から見た歪んだ日本観(妙なネオンや和風の様式美)、ルールに縛られた殺し屋社会などは、1970〜80年代のハードボイルド映画やフィルムノワール、そしてアジア製アクション映画に対するオマージュやパロディの表れです。それを現代の最高峰のアクション技術でスタイリッシュに映像化することで、「カッコよさとシュールな笑い」が同居する独特のトーンを生み出しています。
私はこのシリーズがコメディであったことに気が付いたのは、本作におけるコンチネンタルホテルのルールやここが殺し屋御用達であることに、あれれ、これは笑わせようとしているのか?と思ったわけですよ。第1作のジョン・ウィックが愛犬や愛妻の復讐にしてはバンバン人を殺すというのはお笑いじゃなくて過剰な描写やなと思っていましたが、この3作目でこの過剰な演出で生み出される笑いの映画だったんだとここで製作者の意図が分かりました。この意図をくみ取ることができないと、この過剰な演出をやりすぎになってしまうのですね。

ジョン・ウィック3ひどい まとめ

このように、「とにかくスタイリッシュなアクションを限界まで浴びたい」というファンからは絶賛される一方で、「ストーリーの整合性や、第1作にあった緊迫感・シンプルさを重視したい」という観客からは、こうした点が「ひどい(物足りない・やりすぎ)」と評価されてしまう傾向にあります。 

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